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考現学入門
今 和次郎
(藤森照信・編)




1987年 ちくま文庫


この「犬の書斎」ページの更新もずいぶんとご無沙汰してしまいました。「放置」ってヤツですね。更新しないくせに削除もしない、見て見ぬフリ。情けなや。ま、このコーナーは元々が犬の勝手事言いたい放題のためのページ、特に誰が楽しみに待っているというワケでもありませんから、お気楽なもので。ええ、このスタンスは大事です。間違ってこのページにお越し下さった方、滅多に来ないでくださいよー。

さて、と。私事ながらまうご犬、2003年の夏にこれまでの数々の転居繰り返しに終止符をうつべく最後の引っ越しを敢行いたしました(いや、わかんないけどね、今度こそ最後になってほしいと思ってるだけで)。引っ越しの憂鬱は主に本の移動にともなう苦痛から発せられるものです。そんなに大量に蔵書があるわけでもないのですが、ちょっとまとまった数になると岩より重い紙の束。引っ越しを機にできるだけ駄本は処分しつつキチンと整理した本棚を再構築したいと、まー、毎回引っ越す度に思うことは思う、のですが、なかなかそうはイカンものです。だってねえ、読んでみて駄本だとわかったとしてもどれも自分が本屋で選んだ本だし、自分でちゃんと働いて得たお金で買った本だからね。こういう、捨てられない、でも、もう読み返すこともないかもしれない本たちを本棚にバーッと並べてみると何が見えてくるのか?そりゃもうまぎれもない「犬自身」が見えてくるのです。何に興味を持っててどんな野心を持っているのか、傾向そのまんまがビジュアルに現れています。SFと中国伝奇小説系がほぼ互角の数量、あとは南米小説がちょっとまとまった数あるかなあ、他は古典から町田康までジャンルはバラバラ。それでも自らの嗜好が数量で見えてくるというのはとても面白い…。

…アレ、「考現学入門」の話をしたかったのでしたっけ。
「考現学」とは、遺跡で発掘される遺物を丹念に研究考察する「考古学」に対して、現在の、今あるものを資料として科学的に考察しようとの試みに今和次郎先生が命名された学問のひとつであります。
「現代風俗あるいは現代世相研究に対してとりつつある態度および方法、そしてその仕事全体を考現学と称する」と今先生も書かれています。なんだかワケわからんですが、この本をパラパラとめくってみれば一目瞭然。
ブリキの雨樋のカタチ・漁村の垣根のカタチ・火の見櫓のカタチ等々をひたすら路上観察したり、東京銀座を行き交う人々の髪型や服装を細かく分類して数を数えたり、東京井の頭公園での自殺者の自殺する場所や方法のデータを収集したり…。新婚夫婦や学生さんの持ち物など、とにかくありとあらゆる何もかもを分類して数えて、そして図表にする。そしてそこから現代というものの姿を読みとろうとする…、すさまじい野心が凝縮されているのです。


この本に於いては「現代」と言っても、それは関東大震災後の頃。平成の時代に読めばどうしようもない過去の遺物ばかりなのですけどね。当時にしてみれば狂気の沙汰とも言える作業の成果は、実際70年後の今、当時の生活風俗を知るうえで素晴らしい資料となり得ています。
…でも。
今先生が目指したのは、未来の人が過去の生活を振り返ってみるときのための資料制作じゃないのですよ。
あくまでも「現在」を採集することで「未来」を考えるための資料を作りたかった、のです。
その本気の熱意がひしひしと伝わってくるからこそ、この本は平成の今読んでも全然古めかしくないし、むしろ方法論としてはインターネット時代の今こそ花開くべき感じなのですわ。


ジャンルにとらわれず現在の全てを網羅する、そんな途方もないことを試みた今先生が墓から甦って来て、普及したインターネット世界をご覧になったらどんなに瞳を煌めかすことやら。今先生が夢に見た「全てを網羅」できる時代は到来しつつあります。だけど、それだけにとどまっていては単なる資料でしかないことを、今先生はその網羅の中から未来を推し量ることを目指していたってことを、忘れちゃいけませんね。

で。犬の本棚に並べられた本たちから犬の嗜好の未来は見えてくるのか?うーん。どうかな。でも、なんとなく…?

今先生の個人的憤懣も考現学で一挙解決な「カケ茶碗多数」という項目は爆笑ものですよー。



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