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![]() ルビコン・ビーチ スティーヴ・エリクソン 訳:島田雅彦 ![]() |
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![]() 原題 「RUBICON BEACH」1992年 筑摩書房 手に負えない本を選んじゃったなあ。 実はまうご犬は本を読むのは好きですが、あまりたくさんの本を読んでいません。読む速度が遅いんです。おまけに何度も何度もページを前後して読み直したり、ひどいときにはまるごと全部もう一度読み直したり、「読んだ」ような気がするまでこんな風にだらだら一冊で遊ぶので、時間がかかります。理解力、記憶力の不足が原因です。ひとたびコレだぁ!と、思える本に巡り会うとそれはもう半年くらいは愛でて読みます。 で、「ルビコン・ビーチ」は、コレだぁ!という本でした。 どこかで筒井康隆氏が書評を書かれていて「さいごは、脳みそバーン」という表現をされていたのが記憶の片隅にあったのと、表紙絵が横尾忠則氏というのにのせられて、つい買ってしまいましたが、お二方の表現は実に的確でした。 訳が島田雅彦氏というのは多少??でしたが、それほど島田色でもなくて。 ヴィジュアルなイメージを文字で表現するというのはこういうことなのだなあと。読みながら頭の中は風景と物体と色と光に充ち満ちて、さらに音や臭い、数や量、記号やアナグラムまでもが加わってクラクラと眩暈すらしてくるのです。 描写は細かいけど難解ではないし、一つのイメージについて深く考える前にもう次の新しいイメージが現れて、そのスピードがどんどん加速していくもんだからさいごにはどうしても、「脳みそバーン」…。これは、快感、というものだわ…!! 鈍いまうご犬にもわかるくらい、快感だったのです。 話のテーマそのものはそれほど新しいとも思えない、いわゆる魔術的リアリズムもの。で、独断的にはP.K.ディックの創った近未来世界に、T.ピンチョンの「V.」的謎かけと、R.A.ラファティの妄想錯綜とを詩的にぶちまけたようなもの、と思う。 アメリカ1とアメリカ2のふたつの世界とか、9と10の間にもう一つの数があることの証明とか、誰が死んでて誰が夢をみてるとかね、そんなのはどーでもよくて、そこに意味を見い出させたり考えさせたりしない、イメージの隙のなさがただひたすら気持ちいいのね。ヴィジュアルだからといって映画的手法で表現できるとも思えない。文字を読んで頭の中のスクリーンに投影することだけでしか見ることのできないイメージ。 そんなイメージ描写を何個か例にあげようと思ったのだけど、全文抜き書きになりそうなんでやめよっと。 日本ではかなりあとになって処女作「彷徨う日々」が訳出されました。こちらもイメージの宝庫、でもこちらの方が「ルビコン・ビーチ」よりずっと理解しやすいです。 「彷徨う日々」の原題は「Days Between Stations」です。 原題が醸すイメージと較べてかなり差がある…。 いくらイメージがスゴイって感動しても翻訳というフィルターを介しているんだもんなあ。 英語で読まなきゃ本当はまったくダメなのかもしれないね、 エリクソンの世界は。 |
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