ニホンカモシカ
日本の特別天然記念物!パンダに負けない価値をもつ!

ニホンカモシカ
Japanese Serow (英)
Japan- Serau (独)

《学名》
Capricornis crispus
Capricornis=「ヤギの角をした」
crispus=「縮れた毛」

《亜種》
亜種はない。
しかし最近のDNA調査などから、四国に野生するニホンカモシカが亜種である可能性がでてきている。
動物学の分類上はタイワンカモシカとともにカモシカの亜属とされる。

《分布》
日本の本州、四国、九州の山岳地帯。

《食性》
イネ科の草本類、広い葉の草本類、木々の葉など。季節によって多様。

《体格》
タイワンカモシカより少し大きい。
体格は、北の地方のものは南の地方のものより大きく、毛色は白っぽくなる。
目の下にある眼下腺が目立つ顔相で、 耳はやや丸くて幅広。
おとなで頭胴長100〜115cm、こどもは約35cm。背までの高さはおとなで約70cm、こどもで約30cm。おとなの体重は約35kg、こどもは約3kg。

《ニホンカモシカの生活》
ニホンカモシカは、移動を行わない定着性の動物で、それぞれがなわばりをもって、ふつう群れをなさず単独で行動します。たまにオスとメスの夫婦2頭か、メスと2〜3歳までのこどもという小さな家族単位で生活します。
オスもメスも角があります。
角を立ち木の幹にこすりつけた跡に、眼下腺や蹄腺から分泌する臭いのある分泌液をつけてなわばりを主張します(マーキング)。分泌液はすっぱい臭いがします。
なわばりは、ふつうオスの方がメスよりも広く所有します。
なわばりの中に危険を回避できる場所と、休息するための見晴らしの良い岩場をもっています。
動物園では、同じ飼育場に同じ性別の個体を複数入れると大喧嘩になります。同じ飼育場に複数入っていたら夫婦か親子です。
もさっとした体つきですが、動きは敏捷で急な岩場でも平気で行動します。
決まった場所(1〜3カ所)にため糞をします。
秋(9〜11月)に交尾をして、7ヶ月の妊娠期間を経て、翌年の春(4〜6月)に通常1頭のこどもを出産します。


 (日本カモシカセンターの絵はがきより)

日本では、三重県の日本カモシカセンターの他、大町山岳博物館、多摩動物公園、東山動物園など約30の動物園で飼育され、公開されています。
海外では北京、ベルリン、サンディエゴなどの動物園に、国交友好記念の証として贈られています。





このページのトップへ / かもしかのへやへ / まうごてんのもくじへ


ニホンカモシカは、日本だけにいる、日本を代表する貴重な動物です。
日本人はニホンカモシカとは長い長い間、おつきあいをしてきました。
これからもずっといい関係でいたいと思いませんか?



《ニホンカモシカと日本人》

日本では昔からニホンカモシカは狩りの対象動物でした。
特に海から遠い山村では、その肉はクマ、イノシシ、シカと共に貴重なタンパク源として、その毛皮と角は利用価値も高く現金収入を得るための商品として、重宝される動物でした。
それでも明治以前は銃の命中精度が低く、足場の悪い山中深くで単独で生息するカモシカをしとめるのは、大変な体力と技術とよく訓練された犬を必要とし、大量に捕獲されるものではありませんでした。
ところが、明治12年頃から外国の命中精度の高い銃が輸入され始め、それを見本にした国産の銃が日本中に普及したことで、あらゆる野生動物が無差別に狩猟の対象となり、ニホンカモシカの生息数もあっという間に激減してしまいました。
このままでは日本特有の動物であるニホンカモシカは絶滅してしまいます。状況を憂えたニホンカモシカの種族保存を求める学者たちの働きかけで、昭和9年に「天然記念物」に指定され、法律によってニホンカモシカの狩猟は禁止されることになりました。
それでも、現実には狩猟は行われ続けます。山中深くでの密猟は摘発の目を逃れやすく、ニホンカモシカの生息数は年々減少していきます。そこで昭和30年、保護をいっそう強化するため、ニホンカモシカは「特別天然記念物」に指定されることになりました。
その指定当時、日本中にニホンカモシカは約3000頭しか生息していなかったそうです。昭和34年には全国一斉規模の厳しい取り締まりで大量の密猟者が摘発され、その後は密猟は急速に減少していきました。
こうしてやっと、ニホンカモシカは人間に狩られるための動物ではなくなったのです。



このページのトップへ / かもしかのへやへ / まうごてんのもくじへ



《ニホンカモシカと動物園》

ニホンカモシカが動物園などの施設で、本格的に飼育・繁殖等を研究され始めたのは戦後になってからでした。
戦前は動物園でのニホンカモシカ飼育はあまり重要視されず、飼育されたほとんどが短命におわり、繁殖も成功例はありませんでした。
たくさんの動物を戦争で失った各地の動物園は、戦後まず国内の動物を収集することで復興を目指しました。特にニホンカモシカは欧米の動物園ではとても珍重される動物で、入手を希望する国が多いことから、その飼育繁殖の研究は大変重要だったのです。
ところが、人間とニホンカモシカとの関係は太古の昔から生活上密接ではありましたが、人間がニホンカモシカを飼育するというのはとても難しいことでした。なによりニホンカモシカはストレスに弱い動物だったのです。
捕獲して動物園までの輸送中に死んでしまうことが多く、動物園に着いても、おとなのニホンカモシカは人の与える餌に馴染もうとしません。若いニホンカモシカでなんとか餌付けに成功しても、人間の飼育下にあるというストレスから消化器系の故障をきたして死んでしまったり、こどもにしても環境の変化に対応できないストレスで抵抗力が衰えて肺炎をおこしやすく、すぐ死んでしまいます。
こうしたことから飼育は大変難しく、長い間研究成果は上がりませんでした。
この状況を打破すべく昭和38年3月、文化財保護委員会、林野庁、全国の動物園や博物館の代表者が集まって「特別天然記念物カモシカの保護についての打ち合わせ会」(のちの「カモシカ会議」の発端)が催されます。
この会議でニホンカモシカは全国の動物園・博物館が協力して共同捕獲・共同飼育を行い増殖をはかるという方針が打ち出され、それまで個々で行われてきた捕獲状況や飼育状況、死因などの調査報告を総合して分析しました。
その結果、都会地でのニホンカモシカの飼育は一時中止され、生息地にできるだけ近い場所にある飼育施設で飼育繁殖を推進することになり、昭和34年に開設された三重県御在所岳の日本カモシカセンターをはじめ、大町山岳博物館、立山風土記が丘カモシカ園、京都市動物園、神戸市立王子動物園の5ヶ所でその計画は実行されることになりました。
そうした努力の末、やっと昭和40年にはじめてニホンカモシカの飼育下での繁殖は成功したのです。
その後も繁殖の研究は積み重ねられ、「カモシカ会議」では、飼育下のニホンカモシカの集団遺伝管理を行うことも決められ、近親交配を避けながらニホンカモシカの種を守る努力がなされています。
海外の動物園でニホンカモシカを欲しがる所は多いのですが、移動の困難からなかなか実現できないようです。
それでも日中国交回復記念として贈られてきた、あのジャイアントパンダの返礼として北京動物園に贈られたニホンカモシカのつがいは、飼育・繁殖に成功しています。北京ではニホンカモシカをそれは大事に丁重に扱っています。
ニホンカモシカは、その移動が商業ルートに乗ることはなく(これは国際的にも珍しい事例)、外交の際の友好の証としてのみやりとりされ、日本国の代表として活躍する動物なのです。
各施設・動物園・博物館等の担当の方々の熱意と努力に敬意を表さずにはいられません。


このページのトップへ / かもしかのへやへ / まうごてんのもくじへ



《ニホンカモシカとその後の日本人》

昭和34年の密猟者大量摘発によって狩られることがなくなったニホンカモシカは、その後の10年で爆発的に数を増やします。
捕食者も競争種もなく狩猟も行われない環境でのこの現象は当然の結果とも言えます。しかも同時期に日本では道路拡張政策による森林開発と林業生産増加を目的とした拡大造林政策が行われていました。山の奥地の森林は伐採され、スギやヒノキの幼木が植えられていったのですが、幼木の木の芽や葉はニホンカモシカにとって格好のエサとなりました。
また、開発の進む山奥の地を追われたカモシカが農地に出てきて農作物を食い荒らすこともしばしばで、その被害地域は拡大する一方でした。林業・農業関係者にとってニホンカモシカは食害をもたらす害獣でしかありませんでした。
食害を受けた関係者はニホンカモシカの捕獲を強く要望し、関係官庁はやむなく地域を指定し生きたままの捕獲を許可しましたが、これは失敗に終わります。
防護柵などの設置も効果はありませんでした。それで、昭和53年長野と岐阜の2県に限り麻酔銃での捕獲が許可されましたが、効果がないことから、まもなく一般銃での射殺が行われることになりました。
平成元年には愛知県、その翌年には山形県もこれに加わり、結果的に約1万頭にものぼるニホンカモシカが捕獲または射殺されました。
政府はこの状況下、ニホンカモシカの個体数の動向など基礎的なデータを収集し、科学的保護管理を目指してニホンカモシカの保護地域を限定し、保護地域以外では農林業との調整から捕獲を含む食害防除の策を認めることにしました。
しかし、林産業の現場のほとんどはニホンカモシカの生息地の主要な場所であり、ニホンカモシカの個体数の動向はその生息環境の状況に影響されやすいものですから、産業重視の保護地域設定ではまたもニホンカモシカを絶滅の危機に追いやることになりかねません。それはニホンカモシカに限ることではなく野生動物全般についても言えることです。
森林所有者が野生動物の生息についても責任を持つアメリカ等の国々にも学んで、日本の農林業行政もさまざまな見地から考慮した施策をしてほしいと思います。また、それにともなう資金投資などに理解を示すことのできる社会であるよう、私たち一般市民も努力しなければならないと思います。





このページのトップへ / かもしかのへやへ / まうごてんのもくじへ